Royal Brackla ロイヤルブラクラ11年 2009
70cl 43%
蒸留2009年6月16日-瓶詰2021年2月10日
ファーストフィル・バーボンバーレル樽(307024、307028)
下ラベルの右方にボトル番号が入っていますが、在庫複数本のためボトル番号は写真と異なります。
【シグナトリービンテージ社】
SIGNATORY VINTAGE SCOTCH WHISKY COMPANY
1988年エジンバラのプレストンフィールドハウスホテルの支配人アンドリュー・サイミントン氏が設立。
ファーストボトリングは1968年のシェリーカスク・グレンリベット。
エジンバラ・ニューヘイブンに事務所と瓶詰設備を構えていた。
2002年にエドラダワー蒸留所を買収して、事務所、熟成庫、瓶詰場を同蒸留所の隣に移転した。それらの建物は、かつての農場蒸留所の風情を再現した建築様式で建てられており、多くの観光客が訪れている。
海外への商品販売は、シグナトリー名と、ダンイーディアン名の2つのブランド名を使い分けて、それぞれのブランド商品の一手販売代理店契約を結んでいる。主にスイス、フランス、スペイン、イタリアなどで海外商品販売をしている。
フランスでは、Signatory シグナトリーブランドは、La Maison du Whiskyが取り扱い、Dun Eideannブランドは、Auxilが取り扱っている。
イタリアでは、Signatory シグナトリーブランドは、Velierが取り扱い、Dun Eideannブランドは、Donateが取り扱っている。
ROYAL BRACKLA ロイヤル・ブラクラ蒸留所
1812年にスコットランド・ハイランド地区に設立された、世界で最も古い蒸留所の一つといわれるロイヤル・ブラックラ蒸留所でつくられるシングルモルトウィスキー。
1833年にウイリアム王4世によって、ウィスキーで初めてロイヤルワラントを与えられた歴史を持ち、「王のためのウィスキー」と呼ばれる。
オフィシャルの現行品は、サッポロビールが12年、16年、21年輸入していましたが、2020年から12年、18年、21年になっており、アルコール度数も40度から46度に変更になりました。
オロロソやペドロヒメネスなど、ファーストフィルのシェリー樽でフィニッシュすることよってつくりだされるフレッシュで華やか、かつフルーティな味わいとなっています。
ブラクラとは「まだらの丘の斜面」という意味。
スコットランド・ハイランド地区の高級リゾート地として知られるネアンの町から7キロほど南にある。
すぐ近くにはシェークスピアの「マクベス」で知られるコーダー城がある。
1812年の創業 世界で最も古い蒸留所の一つといわれる。
当時は、密造酒との競争を避けるために、エジンバラなどのローランド地方やイングランドで売られたと言われている。
そのため、国王ウイリアム4世の知るところとなり、1833年にウイスキーで初めてロイヤルワラントを与えられた歴史を持ち、「王のためのウィスキー」と呼ばれる。
1853年、Usher's Old Vatted Glenlivet をエジンバラで発売し、スコッチの歴史で初めてブレンドウイスキー(ブレンドモルト)を製品化したアンドリュー・アッシャーが経営に加わり、アッシャー商会のブレンドウイスキーにロイヤルブラクラを使用した。
蒸留器はストレートヘッド型2器ずつの計4器。
年間生産量は410万リットルでクレイゲラヒ蒸留所と並んで、バカルディ社の蒸留所では一番多い。
スコッチモルトウイスキー蒸留所で最大のグレンリベットとグレンフィディックは2,100万リットルで、その約5分の1の規模。
◆ ANDREW ASHER アンドリュー・アッシャー (1826-1898)
アッシャーは、得体のしれない樽の中から量り売りされるウイスキーではなく、ガラスボトルに入れて、風味も品質も均一にした製品としてボトルを発売した人。ウイスキーに「ブランド」が誕生し、人々はそのブランドのウイスキーを安心して飲むことができるようになりました。また、ブレンドをして製品化するという発想は、その後に続くブレンドウイスキー全盛時代の先駆けとなりました。アッシャー商会は、遡って、1843年にはグレンリベット蒸留所の一手販売代理店となっています。
アンドリュー・アッシャーは、スコッチ業界に「ブランド」意識が生み、その後にブレンドウイスキー時代が始まる先駆けとなったスコッチ業界の最大の功労者。1859年にはエジンバラのモルトウイスキー蒸留所 Glen Sciennes グレンサイネスを買収、1887年にはグレーンウイスキー蒸留所North British ノースブリティッシュを建設。ノースブリティッシュ蒸留所は、現在、ディアジオ、エドリントングループが共同所有していて、フェイマスグラウスをはじめ、多くのブレンドウイスキーの原酒となっています。1896年にはイギリス最大のコンサートホール建設用として、エジンバラ市に巨額の献金をしている。彼の死後「アッシャーホール」として名付けられました。