商品の特徴
William Cadenhead 1818-1904
Cadenheadの起源は、George Duncan が1842年にアバディーンで創業した店。
Duncanの1859年の逝去に伴い、店員のWilliam Cadenheadが店を引き継ぎ、店名をCadenheadに変更。
2017年が創業175年の節年だった。
ノンチルフィルターとノンカラーリングをポリシーとし、175年以上の歴史が積み上げた蒸溜所とのコネクションと磨かれた目利きによる品質の高さは他の追随を許しません。
1972年当時ケイデンヘッド社は負債を抱えており、会社存続の危機に瀕していたため、保有するシングルモルトをロンドンのクリスティーズオークションに出しました。それによりマニアは貴重なボトルを非常に安価に手に入れることができ、会社の負債を完済することができましたが、それを機会に会社オーナーは業界を引退し、残された樽原酒と会社はスプリングバンクのオーナー会社ミッチェル社 J. & A. Mitchell and Co. が買収しました。
CAMERONBRIDGE DISTILLERY FACTS & HISTORY 基本情報と歴史
所在地は、エジンバラからフォース湾を挟んで北北東に直線距離で約40kmのファイフ地区リーブンのウインディーゲート。
西12kmにインチデアニー蒸留所、北15kmにダフトミル蒸留所、東30kmにキングスバーンズ蒸留所がある。
ヨーロッパ最大のグレーンウイスキー蒸留所。
実験製造用のポットスティルも備えており、その建物をLEVEN DISTILLERY リーブン蒸留所と呼んでいる。実験用のためそのモルトウイスキーが製品化されたことはない。
自社のグレーンウイスキーをシングルグレーンウイスキーCameron Brig のブランド名で継続的に製品化してきた唯一のグレーンウイスキー蒸留所。
創業 1824年
創業者 John Haig
1655年 Robert Haigが安息日にウイスキーを蒸留したという罪で教会の長老たちの面前にしょっ引かれたという記録がある。
1751年 Robert Haigの4代後の男子・玄孫のJohn HaigがMargaret Steinと結婚。
当時、ステイン家はすでにフォース湾の奥のキルバーギー蒸留所とケネットパン蒸留所を営んでいた。その4人の子供たちもみなスコットランドとアイルランドで蒸留業を開始。末っ子のWilliam Haigがセギー蒸留所とキンケープル蒸留所をファイフで創業。
1824年 William Haigの長男 John Haigが、父と同じく、ファイフでキャメロンブリッジ蒸留所を創業
1829年 John Haigの従兄弟Robert Steinが発明し、自身のステイン家がキルバーギー蒸留所で使っていたパテント・スティル(特許取得済み連続式蒸留器)を導入
パテントスティルは1929年まで使われていた。
1865年 同業グレーンウイスキー業者8社と提携
1877年 同業グレーンウイスキー業者5社と企業合併し、DCL (Distillers Company ltd)を設立
【DCL創設メンバー】
キャメロンブリッジ蒸留所(ヘイグ社)
ポートダンダス蒸留所(マクファーレン社)
カースブリッジ蒸留所(ジョン・ボールド社)
グレンオーキル蒸留所(マクナブ・ブラザーズ社)
キャンバス蒸留所(ロバート・モーブレイ社)
カークリストン蒸留所(スチュアート社)
1880年代には、ロバート・ステイン・パテントスティル2器、イーニアス・コフィースティル2器、アイリッシュポットスティルウイスキー製造用のポットスティル1器が稼働していたことが、アルフレッド・バーナードの訪問時に確認されている。コフィスティルは拡大・改良されて、現在も使用されている。
1929年 ロバート・ステイン・パテントスティル導入から100年後、パテントスティルを撤去
1998年 Diageo の Gordon’s and Tanqueray ジンと、Smirnoff vodka もここで製造開始。
2007年 4,000万ポンド(64億円)をかけて蒸留所を拡張
2010年 Port Dundas蒸留所が閉鎖となって、Diageoが100%資本を所有する基幹グレーンウイスキー蒸留所となっている。
エジンバラ西のNORTH BRITISHはエドリントングループと共同経営
2014年 Haig ClubシングルグレーンウイスキーをDavid Beckhamを広告塔として発売し、マニアだけが知っていたシングルグレーンが世界的に広く知られることになった。
キャメロンブリッジ蒸留所に引いていた鉄道の廃線跡
キャメロンブリッジ蒸留所に引いていた鉄道線路
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