商品の特徴
Balliol Ltd ベイリオル社
Balliol Ltd(ベイリオル社)が2005年頃に初めて発売したシングル・カスク・シングルモルトウイスキー。
同社は、"Cream Cutie" (ワインベースの、チョコレート&オレンジ・リキュール) を販売していた会社で、代表は、Anne Hempstock氏。
原酒を調達したブローカーは Ian Macleod社。同社のGordon Doctor氏がHempstock氏のために樽原酒を選定しました。
イアンマックロード社は80年代からグレンファークラスと親密な関係にあり、グレンファークラスのブローカーとして、世界中のスーパーや、軍隊などにグレンファークラスを調達していました。
80年代の業界低迷期に多くの蒸留所が閉鎖消滅を余儀なくされる中、グレンファークラスだけは増産を続けることができ発展しました。
また、Ian Macleodも、大きく会社発展して、ブローカーから、現在は、グレンゴイン、タムデュ、そしてローズバンク蒸留所のオーナーとなり、蒸留業者としての基盤を確立しています。
Lord Balliolを発売したAnne Hempstock氏は、このボトルをリリースした後、BBC放送の”Dragon’s Den”(龍の住む洞窟)というテレビ番組に出演しました。
起業する人や資金不足で経営に苦しんでいる人が、自らの社業の内容が、いかに世の中にとって有意義なものとなるかを、テレビの出演者(ドラゴン達)にアピールして、その人たちに認められたら、資金を融資してもらえるという番組でした。
結局、融資はもらえなかったそうです。
しかし、テレビ出演のおかげで、販売していたリキュール"Cream Cutie"の売り上げが3倍になったそうです。
残念ながら、その後、このウイスキーは継続的に販売されることはなく、1984年蒸留の3樽(Cask Number 1, 2, 3)だけが20年熟成品としてボトリングされて終わったようです。
また、その後、リキュールも今は無く、同氏の会社もボトラーとしての確固たる形にまで発展することなく、終わったようです。
Lord Balliol
Lord Balliol ベイリヤル公 ジョン・ベイリヤル1世は、後のスコットランド王ジョン・ベイリヤル(1292-96)の父。
ベイリヤル1世の妻デヴォグィラの家系は大地主。
ベイリヤル1世は、デヴォグィラと結婚後、オックスフォード大学のために寄宿舎建設や融資なども行いました。
金持ちであるがゆえに、ジョンの死後、その妻デヴォグィラは、信用ならない多くの貴族から借金を頼まれたようで、財産管理に腐心したようです。
デヴォグィラは、ジョンの死後、ジョンの心臓を防腐処理させて、象牙の宝石箱に入れ、銀の留め金をして、いつも自分の側に置いたそうです。旅にも持ち歩いたとのことです。
また、ジョンの死後に修道院を建設し、自らも死後ジョンとともにその修道院に葬られたそうです。その修道院は"Sweetheart Abbey"と名付けられ、その遺跡が現存しています。
ジョン・ベイリヤルが妻デヴォグィラから深く愛された、愛の対象であったように、このボトルの名前であり、また、会社の名前でもあるBalliol ベイリアルには、「自分が本当に愛するに値するもの」、「真実の愛の対象」という意味が込められているようです。
グレンファークラスが使っている熟成樽について
◆オーク材について
オーク材についての表記はありませんが、全ての原酒がスパニッシュ・オーク樽で熟成されています。
◆シェリー樽について
また、すべての原酒がオロロッソ・シェリー樽で熟成されています。
◆樽のサイズについて
バット樽が基本ですが、ホッグスヘッド樽でも熟成されています。
◆樽の使用回数
(1)ファーストフィルの場合は、First Fill, 1st Fillの表記は入りません。
(2)リフィルの場合は、Refill と入ります。
(3)The Family Casksでは、サードフィルの樽は使われていません。
(4)フォースフィルの場合は、4th Fill と入ります。
POT STILLS 蒸留器
バルジ型蒸留器。バルジとはボールのような膨らみのこと。底部とネックの間に風船(ボール、バルジ)のような膨らみがあります。
その膨らみ部分は、boil balls あるいは reflax bowls と言われています。
その膨らみが、不快なフレーバーである硫黄化合物がアルコール蒸気と一緒に上がっていくのを防ぐはたらきがあり、よりクリーンな酒質となります。
WAREHOUSES 熟成庫 RED DOORS
グレンファークラスの熟成庫で眠るシェリー樽熟成ウイスキーを象徴する「赤い扉 RED DOOR」が見えます。
1950年代から、シングルモルト販売中心に経営方針を変えてGLENFARCLASのブランドを確立するという当時の社長George Grantの経営判断で、原酒がストックされるようになりました。
1980年代初頭の業界不況で、当時ブレンダーへニューメークスピリッツを樽詰してすぐ納品していた他の蒸留所が、ブレンダーに原酒を売ることができなくなり、閉鎖に追い込まれる中、
グレンファークラスだけは自社倉庫に眠る、長期熟成原酒から短期熟成原酒までバラエティに富むシングルモルトを販売することができ、増産を継続することができました。
HISTORY 歴史
1791年 表にGLENFARCLAS DISTY、裏に1791と書かれている絵があり、グレンファークラス蒸留所の観光案内所に掲げられている。背景にはベンリネスの山肌が見える。確証がないが、創業は1791年以前であった可能性がある。
1836年 ロバート・ヘイが自らの農場で蒸留所の営業をする免許を税務署から取得(1823年の酒税法改正から13年後)
1865年 ヘイ氏が逝去後、Grant家が蒸留所を買収
1895年 Grant家とPattison社による50%ずつの持株会社 the Grants and Pattison, Elder & Co.が、Glenfarclas-Glenlivet Distillery Co.を設立し、グレンファークラス蒸留所を運営
1887年 Pure Old Glenfarclas-Glenlivetをアメリカに輸出していた。
1898年 Pattisonが破産し、Grant家が単独オーナーになる。
1952年 製造量の96%をブレンダーに売り、残り4%をシングルモルトとして自社ブランドで販売していた。現在では、3分の2を自社ブランドGLENFARCLASとして販売している。
1950年代 George Grantが、ブレンダーに頼らず、自社ブランドを強化するために、長期熟成ウイスキーをストックし始める。
1968年 後に"Glenfarclas105"と名称変更する、カスクストレングスのシングルモルトを業界で初めて発売
1972年 フロアーモルティング製麦法を取り止め
1973年 蒸留所に観光案内所を設置
1976年 蒸留器を2器増設し、6器に
2007年 Family Casks Selection 発売開始
FACTS 基本情報
Probably Speyside Finest Distillery スペイサイドで最も優れた蒸留所と称されている蒸留所
スペイサイドで唯一、スコッチの伝統的かつ最適な熟成樽スパニッシュ・オーク・シェリーバット樽だけで熟成を続ける家族経営の蒸留所。
マッカランとの違いは、マッカランがスパニッシュ・オーク・シェリーバット樽だけの熟成から、多様な樽を使用する熟成へと変わっており、また、業界最大手の巨大企業エドリントングループとサントリーが経営しています。
家族経営のため、懸案事項についての決定を早く、柔軟に行えます。そして、時代の好景気に便乗して、マッカラン並みに価格を値上げすることなく、驚くべき低価格でシェリーバット熟成シングルモルトを消費者に届けてくれています。
品質の面で最良であり、同時に、価格の面で低価格。この品質と価格の2点から、スペイサイドで最も優れた蒸留所(Probably Speyside Finest Distillery)と称されています。
グレンフィディックのウイリアム・グラント&サンズとともに、スコットランドで数少なくなった家族経営の蒸留所。
グレンフィディックのWilliam Grant & Sons社は大企業となっており、グレンフィディックだけで年間1,300万リットル製造しているのに対して、年間製造量320万リットル。スコッチ最大のグレンリベットはその6.5倍。
名前の意味:GLENFARCLASとは、「緑の草原の谷間」という意味。
所在地は、スペイサイド中流域、クレイゲラヒとグランタウンオブスペイの中間。スコットランド最高峰BENRINNESベンリネス山の頂上から北西5km。
隣接蒸留所:Dailuaine の南東2.5km、Cragganmore の東北東5km、Allt-a-Bhainneの西北7km
年間製造量 320万リットル(100%アルコール換算)年 スコッチ最大のグレンリベットはその6.5倍。
水源は、英国最高峰ベンリネス山(標高840m)の湧水
麦芽のピートによる燻蒸はライトピーテッドで、フェノール値は1~3ppm
麦芽仕入元 マントン社とシンプソン社
1回の麦芽仕込み量(batch)は、16.5トン
糖化槽は、セミロイター式(糖化槽の中の攪拌用の回転翼が水平に回転し、垂直方向には変化しない形)
麦汁(wort)の透明度は、透明
ウイスキー酵母は、マウリ社製のクリーム(リキッド)タイプ
発酵槽は、木製の蓋の付いたステンレス製、容量41,500リットルが12槽
蒸留は、ガス直火 熱源は加熱ボール式
蒸留器は、バルジ(ボール)型 初留23,000リットル、再留21,000リットル 各3器ずつの計6器。
コンデンサー(蒸留液の冷却器)は、シェル & チューブ式
樽詰度数は、63.5%
熟成庫は、伝統的な地面から3段に積み上げるダンネージ式で5万2千樽を貯蔵
グレンファークラス/グラント家とイアン・マックロード/ラッセル家との特別の関係
写真はイアン・マックロード社の3代勢ぞろい。
左端が左が現社長 Leonard Russel氏、真ん中が今や伝説の人で会長のPeter Russel氏。
手に持っている絵は、Diageo から買収した ROSEBANK蒸留所のイラスト。創建当時の状態をできる限り復元して2023年秋の操業再開を計画している。
1980年代の景気低迷期に、多くの蒸留所が閉鎖、生産縮小の中、グレンファークラスひとり増産を継続
増産することができた理由は、一つにグレンファークラスの経営が銀行資金に依存していなかったこと。
1972年から1992年の間は英国の銀行金利が10-15%の間で揺れ動き、銀行資金に頼っていたところは業績が縮小していた。
増産することができたもう一つの理由は、ブレンダーへの原酒販売から、自社ブランドGLENFARCLASのシングルモルト販売を中心にするという経営方針にすでに1950年代から転換していたこと。
それは、1898年にパティソン社の倒産の経験からに基づいています。当時、DCLと並んでブレンダーの最大手であったパティソン社は、グレンファークラスの50%の株を持っていたため、その倒産により、その後50年、グレンファークラスは低迷することになりました。
その経験から、1950年代当時の社長George Grantが、ブレンダーに頼らず、将来のシングルモルト販売に備えて、原酒を自社倉庫にストックしていたため、80年代初頭の業界不況の中で、多くの蒸留所がブレンダーへの原酒販売が低迷し、閉鎖を余儀なくされる中、自社の原酒をシングルモルトとして販売し続けることができました。
さらに、もう一つの理由は、イアンマックロード社との親密な関係。当時のイアンマックロード社長Peter Russel(写真中央)と当時のグレンファークラス社長George Grantが親密な関係にあったこと。
英国のスコッチ市場は、いつも変わりやすく、またスーパーマーケットに左右されています。スーパーマーケットへの卸が重要な営業であることは今も変わりありません。
当時、イアンマックロード社は国内外のスーパーに営業をしていました。それに加えて、ホテル、小売店、軍隊、各種団体にもプライベイト・ブランドを企画販売していました。
グレンファークラスとの契約上、グレンファークラスの名前を伏せて、それらの団体のプライベイト・ブランドにグレンファークラスのシングルモルトを瓶詰販売していました。当時、日本では東京の京晴がイアン・マックロード社を介してプライベイト・ブランド(グレン・アーマーという名称)を販売していました。
グレンファークラスは、イアン・マックロード社が持つスーパーマーケットのつながりに加えて、世界的に広く多様な各種の団体への販路をとおして、自社の製品を安定的に販売することができました。
イアンマックロード社との関係なくしては、80年代の景気低迷期に増産を継続できなかったかもしれません。
また、イアン・マックロード社も80年代のグレンファークラスとの特別の関係が現在のイアン・マックロード社の基礎になっています。
グレンゴイン蒸留所、タムデュ蒸留所を買収し、さらにはローズバンク蒸留所を買収し、グレンファークラスと同様にシェリー樽熟成に重点を置いたシングルモルトの製造業者となっています。
また、80年代当時から続く、グレンファークラス(グラント家)とイアン・マックロード社との特別の関係は現在も続いており、イアン・マックロード社は世界各国のスーパー、ホテル、小売店をはじめ、様々な団体にプライベイト・ブランド用にグレンファークラスのシングルモルトを名前を伏せて販売しています。
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