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地域 Speyside スペイサイド
蒸留年代 2006年11月21日
瓶詰年代 2017年2月16日
熟成年数 10年
アルコール度数 46%vol
容量 70cl
1st fill single sherry butt シェリーバット No. 901277
ボトラー Signatory Vintage シグナトリー社
シリーズ The Un-Chillfiltered Collection
ボトルタイプ Limited: 限定品

THE GLENLIVET 10年 ファーストフィルシェリーバット 色濃い 2006 シグナトリー

販売価格(税込):
18,694
申し訳ございませんが、只今品切れ中です。
商品コード:
30-28-2
商品概要:
シグナトリー社の同程度の熟成年数品の現行品に比べて色が濃く、ファーストフィル・シェリーバット樽の恩恵をしっかり受けた濃く深さと豊かなスパイシーを期待頂けます。福山雅治さんの歌でもお馴染み80proof(46%)で瓶詰されており、まずはストレートで。シングルカスクから481本の瓶詰。
蒸留所/ブランド:
Glenlivet(グレンリベット)
蒸留所/ブランドURL:
https://www.thatboutiqueywhiskycompany.com/
関連カテゴリ:
アーカイブ 保管庫 (売切)
ボトラー瓶詰業者 > シグナトリー Signatory Vintage
ポイント: 0 Pt

The Glenlievet グレンリベット10年 Signatory Vintage シグナトリー社
 


地域 Speyside スペイサイド
蒸留年代 2006年11月26日
瓶詰年代 2017年2月16日
熟成年数 10年
アルコール度数 46%vol
容量 70cl
1st fill single sherry butt シェリーバット No. 901277
ボトラー Signatory Vintage シグナトリー社
シリーズ The Un-Chillfiltered Collection
ボトルタイプ Limited: 限定品
瓶詰数 481本

 


香り:ケーキ用の調味料、シナモン、ナツメグ、コリアンダー、生姜。


味わい:華麗な味わい、シェリー、多様なスパイス、ドライフルーツ、キャラメル、アーモンド


後口:フルーツケーキ、微かな苦味

 

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商品の特徴

The Glenlivet グレンリベット 蒸留所 

写真の赤矢印は、1824年の創業当時、DRUMINドラミン蒸留所と呼ばれていたグレンリベット蒸留所の最初の建設地。


密造業者による度重なる放火によって、1858年に現在のミンモアに移転しました。


所在地 ミンモア


ペルノリカール社


かつてスペイサイドの多くの蒸留所が自らのウイスキーの名前に接尾語のGlenlivetをつけていました。マッカランでさえ、Macallan-Glenlivetと呼んでいました。それは、ジョージ・スミスのグレンリベットの評判が高く、それにあやかって自らもグレンリベットと名乗ってきました。


真のGlenlivet、それがこの"THE GLENLIVET"です。


シーバスリーガル、ロイヤルサリュートの重要なキーモルト。


仕込水:ジョージ―の泉(中硬水)


熟成:シェリー樽、バーボン樽、プレーンオークの3つを使い分けている。


蒸留器:2018年に第3工場が完成し、計28基(生産能力2100万リットル/年)に増大し、スコットランド最大のモルトウイスキー蒸留所となった。


 


グレンリベットはスペイサイドの特別な場所です。ゲーリックの翻訳によれば、この名前の意味は「スムースで静かな流れの谷」です。この名前を付けた人たちはリベット川を引用している可能性が高いようです。このリベット川はラダーヒルズに高く浸み出し、曲がりくねってエーボン川に流れ込んでいきます。しかし、数世紀の間流れ続け、もっと人気があるものが何かと言えば、それはウイスキーです。


19世紀の初め、重税によって違法な蒸溜が広まった時に、岩の多い山頂や切り立った山合いが、当局から隠れたいと思う密造業者に完全な隠れ場所を提供しました。


1822年 グレンリベットのウイスキーを、キングジョージ4世が1822年にスコットランドを公式訪問した時に名指しで所望しました。ほとんどの人は王様が違法な飲み物を要求したことにショックを受けました。ジョージ・スミスという名前の地元の男はショックを受けず、チャンスと捉えたのです。 当時の蒸留所はDrumin ドラミン(アッパードラミン)など複数ありました。ジョージ4世が飲んだのは現在のグレンリベットではなくドラミンです。


1824年 農場で育てられ社交家として訓練されたジョージ・スミスはビジネスマンであり、かつ起業家であったため、違法な蒸溜器オーナーを手本にしてまねることはありませんでした。彼は蒸溜酒製造業者のライセンスを取得し、政府に注意を受けることなしに製造と売買を行うことができました。密造業者達は、ジョージは自由にビジネスを行えるのに、自分たちが依然として活動を隠さなければならないことに激怒しました。


この怒りがジョージの蒸溜所への暴力行為と脅威として表面化し、そして彼の命へと向けられ、ますますエスカレートしていきました。対して、ジョージは反撃しました。彼がアバーラーのレアードからもらったピストルを携行していたのは有名です。彼は自己防衛のために何度となく発砲しています。


1858年 ドラミンなどの複数の蒸留所を現在のミンモアに集約し、GLENLIVETを名乗り始める。


1871年 ジョージ・スミスは亡くなりましたが、彼の遺産は、その息子で蒸溜所の後継者であるジョン・ゴードン・スミスの中に、樽の中のスピリッツと同じように生き続けました。


ジョンの最初の仕事は、スペイサイドのシングルモルトの利権を悪用していた人々から遺産を守ることでした。配送船の水夫たちが輸送の間に樽から吸い上げていましたし、競合の蒸溜酒製造業者は自分のボトルにグレンリベットのラベルを貼っていました。


1876年 ジョンは模造品の製造に終止符を打つために、グレンリベットの名前をトレードマークに申請するための申請をしました。


1884年 長年の法的な論争の末、「単独でグレンリベットを名乗れるのはスミス家の蒸留所のみ」との裁定が下り、訴訟は解決し、ジョンは、そのウイスキーを「ザ・グレンリベット」と呼べる占有権を勝ち取りました。ジョージ・スミスのウイスキーである“本物のグレンリベット”だけが、 定冠詞“THE”をつけることを許されました。そのほかの蒸留所は、接尾語に-Glenlivetをつけることは許された格好になります。


ジョンの2人目の甥の息子であるキャプテン・ビル・スミス・グラントが1921年に蒸溜所を引き継いだ時、彼は既に紛争をかなり経験していました。第1次ゴードン・ハイランダーの兵役を務める間の1916年に負傷した後、次の年に連隊に復帰しアラスで戦い、そこで2度目の負傷をしました。その「襲撃隊の指揮を執る際の任務に対する際立った勇壮さと献身」によって彼は戦功十字章を授与されました。


1932年 グレンリベットにとって幸運だったのは、キャプテンの任務への献身が戦場だけに限定されなかったことです。Distillers Company Ltd.による法的措置によってスコットランド全体がシーズンを通して閉鎖されました。スミス・グラントの忍耐力のおかげで、グレンリベット蒸溜所は、業務を続けることのできた数少ない蒸溜酒製造会社の一つでした。


1933年 アメリカで禁酒法が解除され、翌年に取引経路が再開されました。グレンリベット蒸溜所は営業を続けていたため、この利益の多い大西洋の向こうの国のチャンスに投資する理想的な位置に居たのです。プルマン電鉄会社がザ・グレンリベットのミニチュア瓶のサービスを始めました。最高のシングルモルトを入手することが出来ないでいた中西部の通勤客により、列車の速度より早く噂が広まりました。


1950年までに、ザ・グレンリベットの売上は、アメリカでのスコッチ・シングルモルトの売上全体の半分を占めました。

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