商品の特徴
Pot Still 単式蒸留器
写真は、頭にコラムが付いている独特の形状のポットスティル
フォースクエア蒸溜所(R.L. Seale & Co. Ltd)は、1920年創業。
蒸留所は砂糖キビ大規模農園に取り囲まれているにもかかわらず、1950年代に蒸留所の経営と農園の経営が切り離されたため、原料のモラセス(廃糖蜜)の大部分をギアナから輸入している。
酵母は南アフリカ産の蒸留酒酵母だけを使っている。
製品は、全てポットスティルとコラムスティルを使った原酒のブレンドになっています。
同一蒸留所内で2つの異なる製法(単式蒸留器と連続式蒸留器)で製造されたラムを自社内でブレンドしているため、「シングル・ブレンデッド・ラム」という範疇に入ります。
バルバドスのラム酒造りの歴史
バルバドスは、東カリブ海の島で、ポルトガル語で「あごひげをはやした男たち」。
1627年に英国植民地となりましたが、1961年に英連邦に属する独立国家となりました。日本の新潟県三条市や愛媛県松山市とほぼ同じ面積430㎢に、約28万人が住んでいます。
1637年にピーター・ブロウアーというオランダ人によってブラジルから最初に砂糖キビがバルバドスに持ち込まれたのが、バルバトスのラム酒造りの起源です。
当時バルバドスは入植者によるタバコ栽培とその輸出が盛んでした。植民地化当初には、タバコ農園の労働力は白人の年季奉公人が主要な労働力でした。
しかし、同じく英国植民地であったバージニア州のタバコがバルバドス産のものより品質が良く、これに目を付けたイギリス本国がバージニア・タバコの関税を非常に低く設定したため、バルバドスのタバコ輸出が立ち行かなくなってしまっていました。
そこでバルバドスのタバコ農園主たちに砂糖キビ栽培とラム酒造りに切り替えることを勧めたのがそのオランダ人でした。
1640年代から、バルバドスの砂糖とラム酒のイギリスへの輸出が始まります。
西アフリカの奴隷積出拠点をポルトガルから引き継いでいたオランダは奴隷を売りさばく得意先を探しているところでした。すでに1645年には6千人の黒人がバルバドスに奴隷として連れてこられていて、白人の年季奉公人に替わるサトウキビ農園の労働力として使役されていました。
現在最古のラム酒として製造されている「マウントゲイ」は、1703年に「キル・デビル」と言われたラム酒の蒸留所が創業したことに始まりますが、バルバドスのラム酒造りの歴史は、カリブの砂糖キビ・プランテーションにおける奴隷労働の歴史に重なります。
Column Stills 連続式蒸留器
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