THE GLENLIVET 17年 Quercus シングルカスク #9345 素晴らしい出来映え
- 商品コード:
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30-29
- 商品概要:
- 今から10年前に始まったグレンリベットの新企画シングルカスクエディション。その初期ボトル。quercusとはウイスキー樽の原料のオークのこと。日本では小楢のこと。蒸留は1994年~1995年。瓶詰2012年9月14日。瓶詰250本。シングルカスク、カスクストレングス。素晴らしい出来映えのグレンリベット。蒸留責任者の手書きの署名入りによる品質保証。
- 蒸留所/ブランド:
- Glenlivet(グレンリベット)
- 関連カテゴリ:
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スコッチウイスキー
> シングルモルト
> シングルモルト
> 現行品・限定品
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輸入業者
> オールド・リバー・ウイスキー ARW
ポイント:
0
Pt
The Glenlievet グレンリベット17年
Category Single Malt
Distillery Glenlivet
Bottler Distillery Bottling
Bottling serie Single Cask Edition
蒸留 1995年9月13日以前
Bottled 14.09.2012
Stated Age 17 years old
Cask number 9345
Number of bottles 250
Strength 52.1 % Vol.
Size 700 ml
Nose:Vanilla, banana, oak and almond
Taste:Pear, vanilla, some oiliness, citrus and fresh oak
Finish:Oiliness is present with a bitter aftertaste
The Glenlivet グレンリベット 蒸留所 所在地
全てのウイスキーの中で1本を上げるとするなら、やはり私もこのグレンリベットを挙げます。ウイスキーの中でこれこそが典型的なウイスキーといえる"THE WHISKY"、それがこのグレンリベットです。
グレンリベットはスペイサイドの特別な場所です。ゲーリックの翻訳によれば、この名前の意味は「スムースな流れの谷」です。この名前を付けた人たちはリベット川を引用している可能性が高いようです。このリベット川はラダーヒルズに高く浸み出し、曲がりくねってエーボン川に流れ込んでいきます。しかし、数世紀の間流れ続け、もっと人気があるものが何かと言えば、それはウイスキーです。
19世紀の初め、重税によって違法な蒸溜が広まった時に、岩の多い山頂や切り立った山合いが、当局から隠れたいと思う密造業者に完全な隠れ場所を提供しました。
もし密造業者に聞けば、リスクを冒す価値は十分ある、ここで蒸溜されたウイスキーは最高のものだと言ったことでしょう。グレンリベットのウイスキーを、キングジョージ4世が1822年にスコットランドを公式訪問した時に名指しで所望しました。ほとんどの人は王様が違法な飲み物を要求したことにショックを受けました。ジョージ・スミスという名前の地元の男はショックを受けず、チャンスと捉えたのです。
農場で育てられ社交家として訓練されたジョージ・スミスはビジネスマンであり、かつ起業家であったため、違法な蒸溜器オーナーを手本にしてまねることはありませんでした。1824年に彼は蒸溜酒製造業者のライセンスを取得し、政府に注意を受けることなしに製造と売買を行うことができました。密造業者達は、ジョージは自由にビジネスを行えるのに、自分たちが依然として活動を隠さなければならないことに激怒しました。
この怒りがジョージの蒸溜所への暴力行為と脅威として表面化し、そして彼の命へと向けられ、ますますエスカレートしていきました。対して、ジョージは反撃しました。彼がアバーラーのレアードからもらったピストルを携行していたのは有名です。彼は自己防衛のために何度となく発砲しています。
ジョージ・スミスは1871年に亡くなりましたが、彼の遺産は、その息子で蒸溜所の後継者であるジョン・ゴードン・スミスの中に、樽の中のスピリッツと同じように生き続けました。
ジョンの最初の仕事は、スペイサイドのシングルモルトの利権を悪用していた人々から遺産を守ることでした。配送船の水夫たちが輸送の間に樽から吸い上げていましたし、競合の蒸溜酒製造業者は自分のボトルにグレンリベットのラベルを貼っていました。
1876年にジョンは模造品の製造に終止符を打つために、グレンリベットの名前をトレードマークに申請するための申請をしました。長年の法的な論争の末、訴訟は解決し、ジョンは、そのウイスキーを「ザ・グレンリベット」と呼べる占有権を勝ち取りました。ジョージ・スミスのウイスキーである“本物のグレンリベット”だけが、 定冠詞“THE”をつけることを許されたのです。このシングルモルトウイスキーがすべての始まりだったことの証です。
ジョンの2人目の甥の息子であるキャプテン・ビル・スミス・グラントが1921年に蒸溜所を引き継いだ時、彼は既に紛争をかなり経験していました。第1次ゴードン・ハイランダーの兵役を務める間の1916年に負傷した後、次の年に連隊に復帰しアラスで戦い、そこで2度目の負傷をしました。その「襲撃隊の指揮を執る際の任務に対する際立った勇壮さと献身」によって彼は戦功十字章を授与されました。
グレンリベットにとって幸運だったのは、キャプテンの任務への献身が戦場だけに限定されなかったことです。1932年に、Distillers Company Ltd.による法的措置によってスコットランド全体がシーズンを通して閉鎖されました。スミス・グラントの忍耐力のおかげで、グレンリベット蒸溜所は、業務を続けることのできた数少ない蒸溜酒製造会社の一つでした。
禁酒法が1933年にアメリカで解除され、翌年に取引経路が再開されました。グレンリベット蒸溜所は営業を続けていたため、この利益の多い大西洋の向こうの国のチャンスに投資する理想的な位置に居たのです。プルマン電鉄会社がザ・グレンリベットのミニチュア瓶のサービスを始めました。最高のシングルモルトを入手することが出来ないでいた中西部の通勤客により、列車の速度より早く噂が広まりました。1950年までに、ザ・グレンリベットの売上は、アメリカでのスコッチ・シングルモルトの売上全体の半分を占めました。