商品の特徴
FACTS 基本情報
名前の意味:GLENFARCLASとは、「緑の草原の谷間」という意味。
所在地は、スペイサイド中流域、クレイゲラヒとグランタウンオブスペイの中間。スコットランド最高峰BENRINNESベンリネス山の頂上から北西5km。
隣接蒸留所:Dailuaine の南東2.5km、Cragganmore の東北東5km、Allt-a-Bhainneの西北7km
年間製造量 320万リットル(100%アルコール換算)
水源は、英国最高峰ベンリネス山(標高840m)の湧水
麦芽のピートによる燻蒸はライトピーテッドで、フェノール値は1~3ppm
麦芽仕入元 マントン社とシンプソン社
1回の麦芽仕込み量(batch)は、16.5トン
糖化槽は、セミロイター式(糖化槽の中の攪拌用の回転翼が水平に回転し、垂直方向には変化しない形)
麦汁(wort)の透明度は、透明
ウイスキー酵母は、マウリ社製のクリーム(リキッド)タイプ
発酵槽は、木製の蓋の付いたステンレス製、容量41,500リットルが12槽
蒸留は、ガス直火 熱源は加熱ボール式
蒸留器は、バルジ(ボール)型 初留23,000リットル、再留21,000リットル 各3器ずつの計6器。
コンデンサー(蒸留液の冷却器)は、シェル & チューブ式
樽詰度数は、63.5%
熟成庫は、伝統的な地面から3段に積み上げるダンネージ式で5万2千樽を貯蔵
HISTORY 歴史
1791年 表にGLENFARCLAS DISTY 裏に1791と書かれている絵が蒸留所の観光案内所に掲げられている。背景にはベンリネスの山肌が見える。確証がないが、創業は1791年以前であった可能性がある。
1836年 ロバート・ヘイが自らの農場で蒸留所の営業をする免許を税務署から取得(1823年の酒税法改正から13年後)
1865年 ヘイ氏が逝去後、Grant家が蒸留所を買収
1895年 Grant家とPattisonによる共同経営会社 the Grants and Pattison, Elder & Co.が、Glenfarclas-Glenlivet Distillery Co.を設立し、グレンファークラス蒸留所を運営
1898年 Pattisonが破産し、Grant家が単独オーナーになる。
1960年 蒸留器を2器増設し、4器に
1968年 後に"Glenfarclas105"と名称変更する、カスクストレングスのシングルモルトを業界で初めて発売
1972年 フロアーモルティング製麦法を取り止め
1973年 蒸留所に観光案内所を設置
1976年 蒸留器を2器増設し、6器に
2007年 Family Casks Selection 発売開始
POT STILLS 蒸留器
蒸留器は初留3器、再留3器の、合計6器。
バルジ型蒸留器。バルジとはボールのような膨らみのこと。底部とネックの間に風船(ボール、バルジ)のような膨らみがあります。
その膨らみが、不快なフレーバーである硫黄化合物がアルコール蒸気と一緒に上がっていくのを防ぐはたらきがあり、よりクリーンな酒質となります。
WAREHOUSES 熟成庫
グレンファークラスの熟成庫で眠るシェリー樽熟成ウイスキーを象徴する「赤い扉 RED DOOR」が見えます。
1950年代から、シングルモルト販売中心に経営方針を変えてGLENFARCLASのブランドを確立するという当時の社長George Grantの経営判断で、原酒がストックされるようになりました。
1980年代初頭の業界不況で、当時ブレンダーへニューメークスピリッツを樽詰してすぐ納品していた他の蒸留所が、ブレンダーに原酒を売ることができなくなり、閉鎖に追い込まれる中、
グレンファークラスだけは自社倉庫に眠る、長期熟成原酒から短期熟成原酒までバラエティに富むシングルモルトを販売することができ、増産を継続することができました。
グレンファークラス(グラント家)とイアン・マックロード社(ラッセル家)との特別の関係
左端が左が現社長 Leonard Russel氏、真ん中が今や伝説の人で会長のPeter Russel氏。
手に持っている絵は、Diageo から買収した ROSEBANK蒸留所のイラスト。創建当時の状態をできる限り復元して2023年秋の操業再開を計画している。
1980年代の景気低迷期に、多くの蒸留所が閉鎖、生産縮小の中、グレンファークラスひとり増産を継続。
増産することができた理由は、一つにグレンファークラスの経営が銀行資金に依存していなかったこと。
1972年から1992年の間は英国の銀行金利が10-15%の間で揺れ動き、銀行資金に頼っていたところは業績が縮小していた。
増産することができたもう一つの理由は、ブレンダーへの原酒販売から、自社ブランドGLENFARCLASのシングルモルト販売を中心にするという経営方針にすでに1950年代から転換していたこと。
それは、1898年にパティソン社の倒産の経験からに基づいています。当時、DCLと並んでブレンダーの最大手であったパティソン社は、グレンファークラスの50%の株を持っていたため、その倒産により、その後50年、グレンファークラスは低迷することになりました。
その経験から、1950年代当時の社長George Grantが、ブレンダーに頼らず、将来のシングルモルト販売に備えて、原酒を自社倉庫にストックしていたため、80年代初頭の業界不況の中で、多くの蒸留所がブレンダーへの原酒販売が低迷し、閉鎖を余儀なくされる中、自社の原酒をシングルモルトとして販売し続けることができました。
さらに、もう一つの理由は、イアンマックロード社との親密な関係。当時のイアンマックロード社長Peter Russel(写真中央)と当時のグレンファークラス社長George Grantが親密な関係にあったこと。
英国のスコッチ市場は、いつも変わりやすく、またスーパーマーケットに左右されています。スーパーマーケットへの卸が重要な営業であることは今も変わりありません。
当時、イアンマックロード社は国内外のスーパーに営業をしていました。それに加えて、ホテル、小売店、軍隊、各種団体にもプライベイト・ブランドを企画販売していました。それらの団体のプライベイト・ブランドにグレンファークラスのシングルモルトを瓶詰販売していました。
例えば、当時、日本では東京の京晴がイアン・マックロード社を介してプライベイト・ブランド(グレン・アーマーという名称)を販売していました。
グレンファークラスは、イアン・マックロード社が持つ世界的に広く多様な各種の団体への販路をとおして、自社の製品を安定的に販売することができたため、80年代の景気低迷期に増産を継続できました。また、イアン・マックロード社も80年代のグレンファークラスとの特別の関係が現在のイアン・マックロード社の基礎になっています。
現在では、グレンゴイン蒸留所、タムデュ蒸留所、ローズバンク蒸留所を家族経営する蒸留業を主な事業としていますが、それぞれの蒸留所も、グレンファークラスと同様に、シェリー樽熟成に重点を置いたシングルモルトを製造販売しています。
また、80年代当時から続く、グレンファークラス(グラント家)とイアン・マックロード社との特別の関係は現在も続いており、たとえば、ボトリング工場を株式50%ずつ出資して共同で所有しています。つまり、タムデュとグレンファークラスは同じ瓶詰工場で瓶詰めされているのです。
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