商品の特徴
SPRINGBANK スプリングバンク蒸留所
大手企業に属さない独立資本による数少ない職人気質の蒸留所の一つ
設備は断然古い。今は存在しないミル製造会社であるBoby社製の麦芽粉砕機を使い、蓋をしない鋳鉄製の糖化槽、カラ松製の発酵槽、3器の蒸留器のうち1器は直火蒸留、ワーム式コンデンサーなど。
蒸留所では3種類のモルトウイスキーを製造している。ミディアムピートのスプリングバンク、ヘビーピートのロングロウ、ノンピートのヘーゼルバーン。
発酵時間はかなり永く、100時間以上かけ、自重が大きくならないようにすることで、アルコール度数が低めの発酵液ができ、同時に、エステル化合物が高い割合でできる。次に、このフルーティな基本的性格をもった発酵液は、どのようなウイスキーを造るか、そのスタイルに応じて、3回の異なる方法で蒸留される。
【2回半蒸留について】スプリングバンクは部分的な3回蒸留を行っている。
初留釜(wash still)は直火で、通常のローワインを製造。その中心部分は後留釜(spirit still)に仕込まれる。蒸留し始めの部分(ヘッズ)と蒸留の終わり頃の部分(テール)の初留液は、再留釜(intermediate still)で再留される。再留釜にはワームタブ冷却槽がつながっている。それにつながる受け容器であるフェインツ・レシーバーには、後留釜(spirit still)で蒸留されたヘッズとテールも入ってくる仕組みになっている。初留釜と後留釜につながっている冷却槽はシェル&チューブ型。
フェインツレシーバーに貯まった蒸留液(全体の80%)と、初留釜で蒸留された蒸留液の中心部分(20%)が、後留釜(spirit still)に仕込まれる。
後留を行って、71-72%のスピリッツを回収する。軽めのスモーキーさ、オイリー、香りが繊細で、芳しく、同時に、パワフル。
ロングロウは、比較的に重量感があり、スモーキーで、その原料の麦芽が、その性格に重要な役割を果たしている。初留の直火蒸留と2回目の蒸留でワームタブの冷却槽が使われていることも、その性格に重要な役割を果たしている。ロングロウはスプリングバンクに比べて68%という低いアルコール度数で蒸留液を回収。
【製造に関する基本情報】
年間製造量:年間75万リットル(純アルコール換算)
麦芽:キャンベルタウン原産、東ハイランド原産
麦芽のフェノール値:スプリングバンク(8-10ppm)、ロングロウ(50ppm*アードベッグ並み)、ヘーゼルバーン(0ppm)
糖化槽:鋳鉄製
発酵槽:カラ松製
蒸留器:タマネギ型3器
加熱方式:初留釜は直火と水蒸気やかんの併用。再留・後留釜は水蒸気コイル
熟成庫:ダンネージ式とラック式
熟成樽:典型的なバーボン樽、シェリー樽、リフィルカスク(再貯蔵樽)、その他に、ワイン樽、ラム樽、rundlet(60リットル樽)、kilderkin(50リットル樽)で熟成されている。
シングルモルト出荷割合:99%(残りは自社のブレンドウイスキーCampbeltown Loch用)
【歴史】
1811-1827年 この間、キャンベルタウンの蒸留器製造技師 Robert Armourが400器の蒸留器を製造したことを"Still Book of Campbeltown"に記録しており、顧客名簿に、スプリングバンク創業者William Reidの姓名のReidとMitchellの姓名が載っている(スプリングバンク非合法時代)。
1828年 William Reid が 合法的な蒸留免許を取得氏、スプリングバンク蒸留所を創業
1837年 非合法から合法化した他の蒸留所と同様に経営が難しく、義理の兄弟 John and William Mitchellに売却
1872年 William Mitchellが引退し、Johnの息子のAlexanderが経営に参加
1897年 J & A Mitchell と社名変更(John & Alexander Mitchell)
19世紀末~20世紀初頭 ウイスキーブームで好況。キャンベルタウンは海を隔ててグラスゴーに近く、地元に石炭層があったため、35蒸留所が栄え、スコットランドのウイスキー製造の中心地となった。ウイスキーの基本的な性格はオイリーでスモーキーだった。
1910年~20年代 第一次世界大戦(1914~1918)とアメリカ禁酒法(1920年~1933年)により業界不況。
スプリングバンク、グレンスコシア、ヘーゼルバーンを除き、32蒸留所が消滅
1926年 閉鎖
1933年 アメリカ禁酒法が破棄され、製造再開
1960年 フロアーモルティング廃止
1969年 ボトラー William Candeheadを買収
1979年 閉鎖
1987年 オーナーHedley Wright (John Mitchellの玄孫(4代後の子孫)がブレンダーへの供給を止め、シングルモルトとしての販売に経営方針を転換
1992年 フロアーモルティングを再開
1997年 ヘーゼルバーンを製造開始
1999年 世界で最初の有機ウイスキー Dha Mhile を発売
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