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地域 Speyside スペイサイド
蒸留年代 1960年代後半-1970年代初頭
瓶詰年代 1976年以前
熟成年数 NAS 熟成年数表記無 (5年未満)
アルコール度数 70°proof
容量 26 2/3fl.ozs.
シェリー樽
ボトラー WHITE HEATHER DISTILLERS LTD
ボトルタイプ Limited: 限定品

WHITE HEATHER 1970年代 (Aberlour-Glenlivet)

販売価格(税込):
19,448
申し訳ございませんが、只今品切れ中です。
商品コード:
2-WH-NA
商品概要:
ホワイトヘザーは見つけると幸運をもたらしてくれるという「白いヘザーの花」の名を冠したスコッチブレンド。1945年にS. Campbell & Sonがアベラワー蒸留所を買収し発売。74年にペルノリカールが買収。ホワイトヘザーは1980年代に終売となりました。ホワイトヘザーの商標はアベラワーの隣接グレンアラヒーのビリー・ウォーカー氏が持っており、高級ブレンド21年として2021年に復活しています。
蒸留所/ブランド:
Aberlour(アベラワー)
蒸留所/ブランドURL:
https://theglenallachie.com/
関連カテゴリ:
スコッチウイスキー > ブレンデッド・スコッチ
スコッチウイスキー > ブレンデッド・スコッチ > オールドボトル
新入荷
輸入業者/販売会社 > オールド・リバー・ウイスキー ARW
ポイント: 0 Pt

WHITE HEATHER 


NAS (年数表記無し)


26 2/3fl.ozs. 70°proof (757 ml  40 %vol)


1960年代ボトルは、タータンチェックのギフト用箱に入り、裏ラベルにアベラワー蒸留所の名前と地図が掲載されていました。


 

申し訳ございませんが、只今品切れ中です。

商品の特徴

WHITE HEATHER HISTORY 歴史

その起源は、1930年代にさかのぼります。Samuel Rosenbloom が酒類販売会社 Forbes McGregor & Co. を設立。氏名を Rosenbloomから Campbellに改姓。


1934年には、グラスゴーのブレンダー Muir Mackenzie & Co を買収し、会社名も改姓した自分の名前を反映する S. Campbell & Son Ltdに変更しました。


改姓の経緯は、Whisky Magazine  1999年8月4日号に、ボトラーのアデルフィ社の原酒選定の顧問としても活躍を続ける、業界の重鎮チャールズ・マクリーン氏が詳述しています。その内容の翻訳を下に掲載していますので、興味ある方はご覧ください。


1945年に S. Campbell & Son 社はアベラワー蒸留所を前オーナーの W.H. Holt & Sons社から買収し、急成長を続けていた自社のブレンドウイスキー用モルト供給源を確保しました。 


1950年代初頭に、子会社 White Heather Distillers Ltd を設立し、ブレンドスコッチ White Heather の製造、発売を開始しました。後に、名称を Campbell (Distillery) Ltd.と名称変更し、ホワイトヘザーに加えて、別ブランドのブレンドスコッチ Clan Campbell を発売しました。


1974年に、会社の全事業が Pernod Ricardに買収されました。そして80年度半ばに、ペルノリカール社は White Heather の製造を取り止め、Clan Campbell の製造に集中しました。その企業戦略により、Clan Campbell クラン・キャンベルは、ペルノリカールの自国フランスで大人気ブレンドスコッチになりました。


そして、S. Campbell & Son 社は、ペルノリカール傘下の子会社として、再びその名称を、Campbell Distillers に変更されました。

参考 WHITE HEATHER 21年

サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション(SWSC)2021にてダブルゴールド受賞。
一般的なブレンデットウイスキーと比べモルト含有率が47%と高いプレミアムな
21年熟成ブレンデッドウイスキーです。
ビリー・ウォーカーによって厳選された18年熟成のハイランド、スペイサイド、アイラの3つの地域のモルトウイスキー原酒(グレンアラヒーを含む)を使用し、
さらにペドロヒメネスシェリーパンチョン樽オロロソシェリーパンチョン樽アパラチア産ヴァージンオーク樽で3年追熟。
21年もの長い熟成によってアイラ島の穏やかなピート、スペイサイドのフルーティーな香り、
ハイランドのヘザーハニーの甘味がモルトの旨味と調和し、豊かな味わいがお楽しみいただけます。
日本代理店ウイスクイー社 


Inspired by the rare and lucky white heather, this blended whisky is matured in a combination of European and American oak casks at Glenallachie distillery. Aromas of heather honey, butterscotch, grapes and acrid peat smoke fill the nose, complemented by notes of orange peel, heather, honey and butterscotch throughout the palate.

FACTS 基本情報

ABERLOUR アベラワーとは、「ラワー川の落合」という意味。


所在地: アベラワー, バンフシャー(スペイサイド中央)   


スペイサイド一の標高840mの秀峰ベンリネス山を源とするラワー川沿い


近隣蒸留所:  グレンアラヒ、マッカラン、インペリアル、クレイゲラヒ


蒸留所はスペイサイドのほぼ中央、秀峰ベンリネス山(840メートル)の湧水を源とするラワー川に洽って建てられている。


ベンリネス山の中腹の泉から水を引いている。


厳選したシェリー樽とバーボン樽の2種類の樽を使って熟成する“ダブルカスクマチュレーション”が特長。


シェリー樽とバーボン樽それぞれで熟成したウイスキーをバランスよく合わせることによって、完璧なバランスを生み出している。


ラムレーズンやバ二ラエッセンスのような芳醇な香りかおり、飲みやすくバランスがとれていて、正統的なスペイサイド・モルトを感じさせるウィスキー。ニート (水を加えない) のほうがアベラワーの味をよりよく楽しむことができる。  


仕込水: ベンリネス山の山腹の泉


蒸留器: 初留(写真真ん中の2器)、再留(写真両脇の2器)。ストレート・ヘッド型


製造能力: 380万リットル/年(スコッチ最大のグレンフィディックが2,100万リットル/年)


所有者: ペルノリカール社(1974)> キャンベル&サンズ(1945)… >


現状:  稼働中


見学:  見学ツアーあり


ブレンド銘柄: House of Lords, King’s Ransom, White Heather  


以前からフランスでは根強い人気を持っていたが、近年では、世界的にも売り上げが好調。


国際ワイン&スピリッツ大会で、金賞を2度受賞(1986年・1990年) したのはアベラワーが初めて。  


アベラワー創業者とされているジェームズ・ゴードンとピーター・ウィアーの2人によって蒸留所が建てられたのは1826年(あるいは1828年)だが、それ以前からこの地で密造酒がつくられてきた。


密造者たちが利用したのは、聖ダンスタンの井戸水で、この水は聖ダンスタン(960年にカンタベリー大司教)がハイランドのケルト民族のピクト族を洗礼する際に使用したもの。 現在はベンリネスの山腹にある泉から引いている。


アベラワーがユニークな点は、原料にスコットランド産の大麦だけを使用し、また樽の栓をコルクにしていること (通常は木製)。これのほうが不純物が早く蒸発してよいのだと言う。


かつては、前述の聖ダンスタンの井戸水を仕込用に使っていたが、不思議なことに、1986年に国際ワイン&スピリッツ大会で金賞を受賞した際、それまで涸れていたこの聖ダンスタンの井戸から、一時的に水が湧き出たと言われている。


蒸留所の現在の建物は、1879年の火災の後に再建されたもので、ヴィクトリア朝の美しい建物。その後1945年に拡張されたが、1974年にフランスのペルノ・リカール社に買収され、その際に、近代的設備が付け加えられた。


1992年に亡くなった所長のイアン・ミッチェル氏は、その父も祖父もアベラワー蒸留所の職人であった。彼自身、蒸留所の敷地内で生まれ、親子3代にわたってウィスキーづくりにその情熱を燃やした。

HISTORY 歴史

【創業年は、4つの説があります】


①1879年:現在地に蒸留所が建設された。


②1828年:アベラワーの古いボトルに記載がある。


③1845年:アベラワーの古いボトルに記載がある。


④1826年:②~④の蒸留所は現在地より1.5km離れた場所にあったと言われている。


 


【創業者も、2つの説がある】 


①1879年の創業者ジェイムス・フレミング  * Dailuaineダリューイン蒸留所のオーナー


②~④1826年(1828年,1845年)の創業者ジェイムス・ゴードンとピーター・ウィアー


 


1826年 James Gordon と Peter Weir が創業


1879年 蒸留所火災 James Flammingが元の蒸留所からスペイ川に1.5kmほど近い場所に再建


1892年 Robert Thorne & Sons が買収 


1898年 蒸留所火災 再建


1921年 W.H. Holt & Sonsが買収


1945年 S. Campbell & Sons が買収


1973年 Dewar's のブレンド用として需要が高まり、蒸留器を2器から4器に増設


1974年 フランスのペルノリカール社がアベラワー蒸留所とCampbell Distillersを買収


2000年 a'bunadhを発売開始


2001年 ペルノリカールがシーバスブラザーズを買収。観光案内所を新設  

St. Drostan's Well 聖ドロスタンの泉

伝説によると、聖ドロスタンは聖コロンバと共に563年にマル島の西にあるアイオナ島に渡った12人の教会仲間の一人で、聖コロンバの弟子。


だいたい560年代から630年頃にアバディンシャーで活動した。


この遺跡は、アベラワー蒸留所から東北東80kmのアバディンシャーのアバ―ダワーにある。


地元の住民の洗礼のためにこの泉の水を使い、奇蹟的な治療と癒しをたびたび起こして、彼の名が知れた。


1884年に地元民が、井戸にピンク色の花崗岩製の水受けと帆立貝の貝殻の蓋を造り、また、人が座るための白い建物を造った。


このような伝説的な泉が各地にあって、アベラワー蒸留所の近郊で密造が盛んであった18世紀、伝説の泉の水が蒸留に使われた。

St. Drostan's Well 聖ドロスタンの泉

1960年代ボトルの裏ラベルにABERLOURを明記

創業者は自分の氏名を何故キャンベルに変更したか? Charles Mclean 

キャンベル蒸留所の前身で、キャンベル一族の所有者である S. キャンベル & サンズは、実際にはキャンベル家ではなかったようです。


サミュエル・キャンベルの本名はサミュエル・ローゼンブルームであり、キャンベル家になる前に名前をロスに改名していました。


なぜそうしたのかと聞かれると、彼はやや曖昧にこう答えました。


「今度証人席に立って名前を聞かれたら、サミュエル・キャンベルと答え、そして「キャンベルさん、キャンベルになる前の名前は何でしたか?」と聞かれたら「ロス」と答えるためです。」これはスコッチの歴史において、過去が巧みに造り変えられた唯一の例というわけではありません。


S. キャンベル & サンズは 1930 年代にグラスゴーのミュア・マッケンジー & Co Ltd. からクラン・キャンベルというブランドを買収しました。当時は米国でのみ販売されていたブレンドスコッチで、そのブランドが登録されたのは 1940 年代になってからでした。


実際、クラン・キャンベルというブランドと、その名を冠した一族との唯一の繋がりは、アーガイル公爵がキャンベル蒸留所の持株会社であるハウス・オブ・キャンベルの取締役を務めていることです。これは、フランスの飲料大手ペルノ・リカールが1974年にS.キャンベルを買収した直後のことでした。公爵を取締役に任命したのは、新オーナーが自社ブレンドの「伝統」を強調する計画に沿ったものでした。


このウイスキーは「スコットランドの中心部に根ざした」「ノーブル・スコッチ」として宣伝され、「その名を冠した一族との特別な絆」を持っています(笑)。


では、クラン・キャンベルとは一体何なのでしょうか?クランとはゲール語で「子供」または「子孫」を意味します。 「キャンベル」という名は、古代の祖先のあだ名「カムブール(曲がった口)」に由来すると考えられており、この名が初めて登場するのは1266年の勅許状です(この日付はキャンベル氏族のラベルにも記載されています)。「曲がった口」については何も分かっていませんが、氏族の系図学者であるセナキーたちは、族長たちの祖先を、フィンガルの仲間でキンタイアで大猪を倒し、毒のついた剛毛に裸足で立って死んだという鉄器時代の神話の英雄、ディアマイドにまで遡らせています。これは、過去を造り変える仕業がいかに古くから行われていたかを示すものである。


ゲール語でキャンベル家はClann Diarmaidと呼ばれ、氏族の紋章は猪の頭である。氏族制度が廃止された18世紀半ばまでには、キャンベル氏はスコットランドで最も有力な一族であり、その有力者による影響力と後援は現代まで存続した。陸軍や海軍、物品税、歳入、その他の政府サービスのほとんどの委員会は、一族の子孫によって管理されていた。


19世紀の間、氏族には貴族を長とする15もの貴族の支族があった。氏族長で最初にナイトの称号を授与された(1280年頃)のは、「グレート・コリン」として知られるロチャウのコリン・キャンベル卿であり、今日に至るまで氏族の長は「グレート・コリンの息子」という意味のMacCailean-Morと呼ばれている。


キャンベル家の老婦人の魅力的な物語があります。彼女は、自分の所属する族長の息子が、ヴィクトリア女王の娘であるルイーズ王女と婚約したと聞き、「陛下は、お嬢様がキャンベル氏族の長(「グレート・コリンの息子」)に仕えることで、いつの日か誇りに思われることでしょう」と語った。


18世紀を通して、キャンベル家はロンドン政府に忠誠を誓い続けた。それは、ジャコバイトの王位僭称者であるジェームズ3世とその息子、ボニー・プリンス・チャーリーの強力な敵であったことを意味する。


1745年の少し前、キャンベル氏族の兵力は5,000人とされ、キャンベル氏族の連隊はカロデンの戦いでハイランド軍の右翼に甚大な損害を与えた。


エドラダワー蒸留所(キャンベル蒸留所所有)の展示パネルには、キャンベル氏族がカロデンの戦いに参加していたことが誇らしげに紹介されているが、どちら側にいたかは触れられていない。 1745年の蜂起後に起きた血なまぐさい報復に直接関与したわけではないが、キャンベル一族は敵であるジャコバイトが没収した数多くの領地を購入、差し押さえ、あるいは管理することができた。このことが他の多くの一族から非常に不評を買ったが、その一方で、国内での富と権力をさらに増大させた。この恨みは今もなお続いていると主張する人もいるかもしれないが、キャンベル一族の人々が人生において示してきた政治的手腕、法律に関する鋭敏さ、そして道徳的勇気は誰も否定できない。また、彼らの肉体的な勇気も同様である。過去100年間で、コーダーのキャンベル一族だけで、ヴィクトリア十字章3個、DSO16個、MC3個、AFC1個、DFC1個、レジオンドヌール勲章4個、クロワ・ド・ゲール勲章3個を授与され、12回の叙勲でその名が知られている。現在の氏族長「グレート・コリンの息子」は、第12代アーガイル公爵で第26代キャンベル氏族長であり、世界有数のウイスキークラブ「キーパーズ・オブ・ザ・クエイチ」の創設パトロンであり、元グランドマスターです。


さて、ウイスキーの話に戻りましょう。ペルノ・リカールがS・キャンベル・アンド・サンズを買収した際、スペイサイドにあるアベラワー・グレンリベット蒸留所とグラスゴー・ボンディング・カンパニーも買収しました。


1979年にはエアシャーのキルウィニングに新しい瓶詰め工場が建設され、1982年にはかつて有名だったウィリアム・ホワイトリー社の資産を買収しました。その資産には、エドラダワー(スコットランド最小の蒸留所)や約100の銘柄(現在も製造されているハウス・オブ・ロードを含む)が含まれていました。因みにホワイトリー自身は「蒸留所の長老」というニックネームで呼ばれていました。


1989年、キャンベルズはアベラー近郊にあるグレンアラヒー蒸留所をインバーゴードン蒸留所から買収し、資産を充実させました。


クラン・キャンベル・ブランドが正式に立ち上げられてからわずか15年ですが、既にフランスで2位、スペインとイタリアではスコッチウイスキーのトップ10にランクインしています。


サミュエル・ローゼンブルーム氏もきっと誇りに思うことでしょう。

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